作品紹介
伝統への挑戦 Challenging Tradition
急速に近代化する19世紀、画家たちも新しい主題や技術を探求します。19世紀前半、農村に移り住んだ画家たちは、農民の生活や田園風景を主題に選びました。それまで風景は、歴史や神話・聖書の物語、あるいは名所旧跡を主として描かれるものでした。しかし、バルビゾン派やレアリスムの画家たちは、祖国フランスに目を向け、身の回りの風景に注目したのです。これは、歴史画を頂点とする伝統的な絵画のヒエラルキーを覆すものでした。また、アメリカにおいても、自国の雄大な自然に対する関心が高まり、「アメリカ的な」風景が人気を博します。本章では、大西洋の両岸における、こうした印象派の先駆けとなる動きをご紹介します。
パリと印象派の画家たち Paris and the Impressionists
1874年4月、パリのカピュシーヌ大通り35番地にて、のちに「印象派」と呼ばれる画家たちによる初めての展覧会が開催されました。クロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、カミーユ・ピサロらは、サロン(官展)への出品をやめ、自分たちで作品を展示する場をつくり出したのです。彼らはアカデミーの伝統から離れ、目に映る世界をカンヴァスに捉えようと、アトリエを出て、鮮やかな色彩を採用し、大胆な筆づかいを試みました。また、大都市パリには、各地から芸術家が集います。本章ではフランス印象派にくわえ、彼らと直接に交流をもち影響を受けたアメリカ人画家、メアリー・カサットやチャイルド・ハッサムの作品もご覧いただきます。
国際的な広がり Impressionist Networks
パリを訪れ、印象派に触れた画家たちは、鮮やかな色彩、大胆な筆触、同時代の都市生活の主題などを特徴とする、新しい絵画の様式を自国へ持ち帰ります。印象派の衝撃は急速に各地へ広がりますが、多くはフランス印象派に固執するものではなく、各地で独自に展開してゆきます。画家たちの往来・交流により、印象派と分類されない画家や、フランスを訪れたことのない画家にも、印象派の様式は波及しました。もちろん日本も例外ではありません。明治期にパリに留学した画家らによって、印象派は日本にもすぐに伝えられました。本章では、国内の美術館に所蔵される黒田清輝や久米桂一郎らの明治期から大正期の作品を展示し、日本における印象派受容の一端もたどります。
アメリカの印象派 American Impressionism
1880年代半ばになると、アメリカの画商や収集家はヨーロッパの印象派に熱い視線を送るようになります。多くのアメリカの画家がヨーロッパに渡り、印象派の様式を現地で学びました。いち早くそれを自らの制作に採り入れたウィリアム・メリット・チェイスやチャイルド・ハッサムは、アメリカに戻ると画家仲間や学生たちにも新しい絵画表現を広めました。アメリカにおける印象派は、それぞれの画家の独自の解釈を交えて広がってゆき、地域ごとに少しずつ異なる様相を見せます。フランス印象派に忠実にあろうとする画家がいる一方、その様式にアレンジをくわえ、アメリカらしい田園風景や家庭内の情景を捉えようとする画家たちも登場しました。
まだ見ぬ景色を求めて New Directions and Frontier Lands
印象派の衝撃を受けた画家たちは、新しい絵画の探究をつづけてゆきます。フランスのポスト印象派は、光への関心を継承しつつも自然主義を脱却し、印象派に影響を受けたドイツの画家たちの作品には、自らの内面の表出を重視する表現主義の芽生えが認められます。アメリカでは、トーナリズム(色調主義)の風景画が人気を博します。南北戦争の混乱がつづくなか、目に見えないものの表現を重視し、落ち着いた色調で描かれるこうした風景は、人々の心の安らぎとなりました。
また、印象派の様式は、画家たちがさまざまな地で制作することを可能としました。戸外制作の技術を活用し、画家たちは大自然の驚異を見せるアメリカ西部へ分け入り、初めて目にする景色をもカンヴァスに留めてゆきました。